大友義統(おおともよしむね)
豊後府内城主。
生没年、1558~1610。
天正14年(1586年)、薩摩の島津義久による豊後侵攻のため領土を失いますが、天正15年の九州討伐で島津義久が降伏すると、豊臣秀吉から、豊後一国と豊前宇佐郡半郡をを安堵されます。
朝鮮出兵(文禄の役)に参加するも、文禄2年(1593年)に敵前逃亡の咎で除封となってしまいます。
配流を経て、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで豊後に戻り豊臣方に付いて参戦。石垣原の戦いで黒田官兵衛に敗れます。
慶長15年(1610年)7月19日病没。53歳でした。