小寺政職

小寺政職(こでらまさもと)

 播磨御着城主。
 小寺則職(こでらのりもと)の子。
 黒田官兵衛の母お岩および妻は、ともに政職の養女。
 生没年、1517~1582。

 

 永正14年(1517)、播磨御着城主・小寺則職の子として誕生します。小寺氏は赤松氏の分家にあたり、赤松氏の重臣として従います。
 天正4年(1576)、播磨の東から織田信長と西の毛利氏が迫ってくると、黒田官兵衛の進言により織田信長に臣従することになります。
 天正6年(1578)2月に播磨三木城主別所長治が、10月に摂津有岡城主荒木村重が相次いで織田信長に謀反を起こすと、それに同調してしまいます。
 天正7年(1579)11月、摂津有岡城に幽閉された黒田官兵衛が救出されると、政職は城を捨てて逃亡します。主従関係が崩れたことにより、黒田職隆・官兵衛親子は小寺姓から黒田姓に戻ります。
 その後政職は毛利輝元を頼り、天正10年(1582)に病没します。
 政職の子小寺氏職は官兵衛の計らいにより秀吉に赦免されます。氏職は黒田氏に仕え、その後小寺家の子孫は福岡藩士として代々続くことになります。

 

花燃ゆ

 

真田丸