黒田直之(くろだなおゆき)
黒田職隆の四男。黒田官兵衛の異母弟。
母は継室・母里氏。黒田二十四騎。洗礼名パウロ。
生没年、1564~1609。
豊臣秀吉、秀吉の弟秀長に仕えたのち、黒田官兵衛、長政に属します。天正14年以降は官兵衛に仕え、九州征伐に参加します。
慶長5年(1600年)の関が原の戦いでは、筑後柳川城、筑後久留米城の開城で活躍します。
筑前福岡藩成立後は秋月城の城代として1万2千石を与えられます。
熱心なキリシタンとして知られ、洗礼名はパウロといいました。関ヶ原の戦い後、同じキリシタンである明石全登を匿ったといわれています。
慶長14年(1609年)2月3日に病没。46歳でした。