黒田利則(くろだとしのり)
黒田職隆の三男。黒田官兵衛の異母弟。
母は継室・神吉氏。黒田二十四騎。
生没年、1561~1612。
豊臣秀吉、秀吉の弟秀長に仕えたのち、黒田官兵衛、長政の重臣として活躍します。
天正15年(1587年)、九州征伐に参加します。官兵衛に豊前6郡が与えられると、その家臣として2千石を与えられます。
慶長2年(1597年)の朝鮮出兵(慶長の役)、慶長5年(1600年)の関が原の戦いに参加。官兵衛に従い筑後や肥後を転戦し、富来城攻めで活躍します。
筑前福岡藩成立後は津屋崎城の城代となります。
慶長17年(1612年)3月5日に病没。52歳でした。