光(てる)
黒田官兵衛の妻。黒田長政、黒田熊之助の母。雅号は幸円。
播磨志方城主・櫛橋伊定(くしはしこれさだ)の娘、小寺政職の養女。
生没年、1553~1627。
官兵衛より7歳年下。官兵衛の主、政職の養女となった上で、永禄10年(1567年)頃、官兵衛に嫁いだと推測されています。
婚姻の際、実父伊定が合子形兜(ごうすなりかぶと)を官兵衛に贈ります。官兵衛はこれを生涯大切にします。
官兵衛は生涯側室を置かず、光との間に、長政と熊之助をもうけています。
官兵衛が摂津有岡城に幽閉されている間、黒田家の象徴として家臣を団結させます。
関ヶ原の戦い直前に豊臣方に黒田家屋敷を包囲されますが、家臣の栗山利安(栗山善助)、母里友信(母里太兵衛)に助けられます。
幸円の雅号で和歌を詠みました。また、浄土宗に帰依し、中津城下に円応寺を建立します。長政が福岡藩主になると、同寺を福岡城下に移転させました。
元和9年(1623年)に長政が病没した際はその死を看取ったといわれています。