栗山善助(くりやまぜんすけ)
黒田家の重臣、筑前左右良(まてら)城城代。
諱は利安。黒田二十四騎。
生没年、1550~1631。
永禄8年(1565年)に黒田官兵衛に仕え、永禄10年(1567年)の青山の合戦で初陣を遂げます。
天正6年(1578年)に官兵衛が摂津有岡城に幽閉されると、有岡落城の混乱に乗じて城内に潜入し、官兵衛を救出しました。
文禄元年(1592年)に始まる朝鮮出兵(文禄・慶長の役)では、官兵衛と黒田長政に従って参戦し奮闘します。
慶長5年(1600年)、関が原の戦い直前、摂津大坂の黒田家屋敷が豊臣方に包囲されますが、母里太兵衛らと協議の末、官兵衛の妻光と長政の継室栄姫の脱出を成功させます。9月13日に始まった石垣原の戦いでは、官兵衛を助けて勝利に貢献します。筑前福岡藩成立後は長政から左右良(まてら)城城代を任せられます。
慶長9年(1604年)、病に伏していた官兵衛から合子形兜(ごうすなりかぶと)を与えられます。官兵衛病没後、官兵衛の冥福を祈って円清寺を建立します。
元和9年(1623年)に隠居し、家督を嫡男栗山利章に譲ります。
寛永8年(1631年)8月14に病没。82歳でした。