黒田職隆(くろだもとたか)
黒田重隆(くろだしげたか)の嫡子、黒田官兵衛の父。
播磨御着城主・小寺政職(こでらまさもと)の重臣で姫路城主。
通称は兵庫助(ひょうごのすけ)、美濃守(みののかみ)。諱は職高とも表記します。
生没年、1524~85。
備前福岡(現岡山県瀬戸内市)で生まれ、成長後に父重隆と播磨へ移り住み、御着城主の政職に仕えます。
やがて政職は養女である明石宗和(あかしむねかず)の娘を職隆に嫁がせ、小寺姓を与え、姫路城代に抜擢します。
職隆の性格は物柔かで情け深く、家臣や領民から慕われたといいます。
永禄10年(1567年)頃に家督を黒田官兵衛に譲り、隠居します。
天正6年(1578年)、官兵衛が摂津有岡城に幽閉されますが、そんななかでも家臣団の見事に統率します。
天正13年(1585年)8月22日に病没、享年64歳。