明智光秀(あけちみつひで)
織田信長の重臣、近江坂本城主、丹波亀山城主。
生没年、1528~1582。
美濃明智長山城主の子として生まれ、成人後は朝倉義景、第15代将軍となる足利義昭に仕えます。
織田信長が義昭を奉戴して上洛すると信長の家臣となります。
天正10年(1582年)5月末、信長から援軍として備中へ赴くよう命じられます。家来を率いて亀山城を出発しますが、何らかの理由で6月2日未明に信長のいる本能寺を襲撃。信長を自刃に追い込みます。しかし、同月13日、山崎の戦いで黒田官兵衛など秀吉勢の前に敗北します。遁走した光秀でしたが、同日夜近江に向かう街道沿いの小栗栖(おぐるす)で地元民に竹槍で刺され戦死。