石田三成

石田三成(いしだみつなり)

 豊臣家の重臣、近江佐和山城主。
 通称佐吉、官職は治部少輔。
 生没年、1560~1600。

 

 豊臣秀吉に仕えて奉行として行政面で功績をあげます。しかし、黒田長政、福島正則、加藤清正らとの武将勢と確執が生まれます。文禄2年(1593年)には三成の讒言により、黒田官兵衛が秀吉の怒りを買ってしまうということもありました。
 慶長3年(1598年)秀吉が病没すると、同4年長政ら7将が三成がいる山城伏見城を襲撃します。三成は徳川家康の屋敷に逃げ込みますが、家康の命で佐和山城へ移ります。
 慶長5年(1600年)、家康が会津へ出陣すると、安国寺恵瓊らと共謀し上方で挙兵します。9月15日の関が原の合戦では、小早川秀秋らの寝返りなどにより大敗。10月1日に京都で斬首されます。

 

花燃ゆ

 

真田丸

 

 

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